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執筆者の写真Natiur

根底にあるもの。

なんか急に自分のことを書きたくなりました♪




私は高校1年の冬にうつ病を発症しました。

忘れもしない阪神淡路大震災の日。微熱が出てだんだんと高校に通うことが難しくなり、

地下鉄サリン事件が起こったその日から不登校になりました。


高校2年になったら色々あって更に学校に通うことが困難になっていきました。

自傷癖はありませんでしたが今までに数度本気で死にかけていますw


それを救ってくれたのは病院のカウンセラーの先生と「保健室で自習すれば?」と提案してくれた担任の先生と保健室の先生と、保健室までわざわざ通ってくれたり授業のノートを全部FAXしてくれたりした友人たちの存在。

それと、引きこもりのときに家のパソコンに偶然ソフトウェアが入っていたことで加入したパソコン通信で知り合った友人たちの存在も大きかったです。

授業受けてなくても成績は良かったですがw出席日数が足りず中退しました。


当時の私はエレクトーンをやっていて、業界トップの先生に直接教えて頂いたり会社のお手伝いをさせてもらったりしていました。

大検の資格を取って先生のコネ(?)もあり音楽系の専門学校に入学しました。

ここも結局体調の一進一退で中退しています。

ちなみに旦那と知り合ったのが学校だったりします☆

実を言えばこれまた色々あって付き合う前から一緒に暮らしていたりするんだな~。

おかげで夫婦であり同志であり友達であり空気みたいな関係でいられてるんですよね~。


その後、友達の親御さんがやっていたケータイ屋さんでバイトするようになったけど

ここも最後には体調不良で突然辞めたりして。

結婚したのはこの時期か。


ひょんなことから自家製酵母パンの教室に行ったらハマってしまい、教えていただいたお店でバイトさせてもらったことで小さい設備でも量を多く焼くスキルを自然と覚えさせてもらったりしました。


色んな人に救ってもらったり迷惑かけたりしながら生きてきたんですよね~。

それでも付き合いを続けてくれた友人たちの存在はホントにデカい。


かなりの変人人生だと思いますw

ドロップアウトしてることに慣れきっているというかw

一般的なフツーの生活って何ですか?っていう人生を送ってきておりますw


そんなベースが出来上がって寛解と言えるような状態になったころ、うつ病で自傷癖もあり首吊るところだった友人(旦那の高校時代の彼女w)を強制的に家に住まわせました。

その子はシングルマザーの娘でそのお母さんも小学生くらいで病死、引き取られた親戚に虐待を受けていたりと私よりも壮絶な人生を送っている天涯孤独の子でした。

私と旦那はこの子の家族になると決めたんです。

「普通の家族像」を全放棄し、私+旦那+ルイたん+友人の4人家族になりました。


うつ病に「苦しんでいた」側から「見守る」側になりました。

いつ手首切るかを見守りながら付かず離れずの距離を保ち、切ってしまったあとのケアをし、休職→退職の流れのどん底に寄り添い、薬抜きの壮絶な数日間を見守り、数年経って再就職することが出来ました。

結局10年以上一緒に暮らしてたかな~?

私が彼女にとっての友達であり姉であり母であり続けた後に独り立ちしていきました。

最初は頑なだった彼女も今では我が家を実家のように思ってくれていると信じています♪

実際家の鍵も持ったまんまです。


変な生活してるなぁとみんなに思われていたことも知っています。

家族にすら良く思われていなかったことも知っています。

悪態をつかれてブチキレたこともあります。

めちゃめちゃ仲が良かった義母と大喧嘩して、以降現在に至るまで7~8年くらい帰省するのをやめてから経過してる(周囲にはルイたんがシニアになったからと言い訳してましたけどね)し、手紙のやりとりはしているけれど声のやりとりの一切は旦那が勝手にやってくれていますw

それでもやめる気は一切ありませんでした。

その時に自分たちが守るべきものは「4人家族」だったからです。


後悔も一切していません。


自分がうつだったからこそ当事者の辛さをよく知っているし扱い方もわかっている。

見守る側がどれほど壮絶な苦労をしなければならないかも知っているし、一歩でも方向性を間違えたら共倒れ一家全滅の危険があることも、その覚悟とやり抜く信念がなければ治せないことも知っている。

最初の時点から10~20年のスパンで覚悟していました。

だから出来たんだと思います。

そして、心地良さが甘えに変わってしまったときには厳しさも必要ということも。

結局独り立ちさせたのは私が追い出したからなんですw

そしたら、彼女はアメリカでの仕事を選択して大きく羽ばたいていきました。

すごく忙しそうだけれど日本での仕事よりも遣り甲斐は物凄くあるみたいです!


お正月明けとある占い師さんに鑑定していただいたときに「過去に起こっていた本当につらかった時期が原動力になってるんですね」「弱さも強さも知ってるんですね」と言われて、すごーく腑に落ちました。

そうか。だから私はこんなことをやっているんだ。


今の自分の根底にあるのはストレスフリーであること。

「私は私!」であること。

「なんとかなる!」で無理しない前提の方法を探していくこと。

楽しいことのほうが断然勝っていたから、頼られていたけど頼ってもいたから、変と思われようが自分が選んだんだからそれでいいじゃん!って思ったから今があるんだと思っています。


「なんとかなる!」っていうのはルイたんの存在も大きかったかもな~。

小脳に先天的な「キアリ奇形」があって「脊髄空洞症」「水頭症」を持っていて、5歳で心雑音が出て、果ては慢性膵炎にもなって、それでもすごく楽しく過ごしてくれていたと思うし実際15才半超えたんだから!


無理をしていたら途中で崩れていたと思います。

人はなかなか変われないということも知っている。

でも、きっかけと支えがあれば変われることも知っている。

自分が実体験してきているから一緒に立ち向かっていこーぜ!死にかけたって何とかなってここまで来てる人間が居るから大丈夫!って思うんですな。


だから私は自分もみんなも無理をしない「Win-win」「ゆるゆる」が好きです♪

うん。コーチングで出てきた「免震装置」「魔人ブウ」は理想だな~♪


とりとめない長文失礼しましたーっ!


 

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